みなさん、こんにちは。株式会社アドバンテッジリスクマネジメントのキティこうぞうです。今回はまずは、「日本の○○は銀座にいた」という話をご紹介します。
今から20年程前、1990年代のはじめに、あるアメリカの労働団体が日本の労働事情の調査に来ました。日本の労働団体の紹介で東京のいろいろな企業を訪問して、アメリカとの違いを研究するために日本を訪れたのです。今回の調査団のテーマは「日本の労働者はなぜこれだけ長時間キツイ労働をしても、こころの病にならないのか」でした。当時のアメリカ人にとって、日本人が長い時間がむしゃらに働いている姿は異様に映るだけでなく、なぜ精神状態を維持したまま仕事が続けられるのかが不思議でしょうがなかったようです。
調査団のメンバーは「さぞ、優秀なカウンセラーが企業にいて、労働者のこころのケアをおこなっているんだろう」という仮説を持って日本の企業を訪れましたが、当時の日本では、どこの企業もカウンセラーなど常駐していません。調査団の疑問は解けぬまま、調査は最終日をむかえました。最後の企業を訪問し終わると、日本の労働団体の代表が「せっかく日本にお見えになったので、最終日くらいお酒でも飲みましょう」と言って、調査団のメンバーを銀座の高級クラブに連れて行きました。メンバーはそのクラブでホステスたちに囲まれながら、閉店まで楽しく飲み明かし、そして最後にみんなが口々に言いました。「日本のカウンセラーは銀座にいた」と。
アメリカ人が「働きすぎの日本人」を見ていて、こころの病にならないことを不思議に思うのは当然でしょう。では、戦後から高度成長期にかけてがむしゃらに働いていた日本人のこころを支えていたのは、一体何なのか。それは、アメリカでは考えられない日本特有の「企業内の仲間意識」なのかもしれません。上司が自分の部下の仕事を指導するだけでなく、時には部下の個人的な悩みを聞き、時には一緒に居酒屋で仕事のことを語りあうなど、まるで家族のように上司が部下のプライベートにまで関わりを持つのが日本の企業内の仲間意識でした。
そして、このような上司と部下とのコミュニケーションに関わっていたのが、クラブやスナックのママであり、居酒屋の大将だったのです。仕事が終わってから語り合う場、そしてストレスを発散する場として、日本では戦後から高度成長期にかけてサラリーマンがクラブやスナック、そして居酒屋に行くことが定着していったのです。
「サードプレイス」という言葉があります。「サードプレイス」とは第三の場という意味で、家庭(ファーストプレイス)と職場(セカンドプレイス)以外の居場所のことです。具体的にいうと、趣味の集まりであるとか、ボランティア活動の場、町内会やPTAなどの地域の場、出身中学校の同窓会の場、そして先ほどのクラブやスナック、居酒屋など夜の集まりの場などです。家庭と職場の行ったり来たりという生活ではどうしてもストレスがたまりやすくなります。真面目な方ほどこのような傾向が強く、「うつ病」などのこころの病に陥りがちです。サードプレイスを持っていると、家庭や職場で言えないことが吐き出せたり、家庭や職場とは違った価値観の人からアドバイスをもらえたりするので、仕事のストレスを発散することができるのです。
銀座の高級クラブとはいかないかもしれませんが、みなさんも自分の行きつけの居酒屋やスナックを開拓してみてはいかがでしょう。男性の方だけじゃないですよ。女性の方もぜひチャレンジしてみてください(ただし、既婚者の方は奥さんやご主人に許可を取ってくださいね)。店で知り合ったお客さんと一緒に会話することで、いろいろな発見があるかもしれません。また、店のママや大将に「おかえりなさい!」「今日も大変でしたね」「今日は何かいいことありましたか?」などとやさしく声をかけられれば、きっと一日の仕事のストレスも吹き飛ぶと思いますよ。